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現実世界を生きる

大川総裁は堕落したと言う人がいます。
確かに教団発足時より、慢心が大きくなったのは事実だと思います。

しかしそれよりも、彼本来の地が出てきただけなのではないかと思います。
いわば「素顔の大川隆法」と言う訳です。

初期の霊言が、現在のそれよりまともに見えるのは、実父や実兄などが創作に関わっていたからだと考えます。

『イエス・キリスト霊示集』や『谷口雅春霊訓集』だけは本物だと言ったところで、これらの収録は密室で行われており、現在の公開霊言とは異なり、ビデオも何も残っていません。

90年代半ば以降、暫くの間は霊言が行われなくなります。
これは彼らを教団運営から遠ざけたり、教団創設に関わった幹部などが教団を去って行った為に、大川自身が創作に行き詰ったからではないでしょうか。

後に発表された『愛のあとさき』と言う詩集がありますが、センスを疑うような酷い内容です。
彼が東大在学中に書いたものとされていますが、これが大川隆法本来の感性であり、文章力なのではないでしょうか。

(もし若気の至りで書いたとしても、普通は隠蔽したくなるようなものだと思います。これを販売してしまう感覚が、尚のこと理解出来ません…。)

その後、霊界通信を受けたとしていますが、その間も大川は何らの精神修養も積んでいません。

つまり元々、宗教的な素養もなく、何の修業もしていないのに、再誕の仏陀だとか、最高の霊能者などと騙っている訳です。

元から何も悟っていないのだから、堕落したという表現は的確ではありません。
救世主の座から転落した訳でも何でもなくて、安物のメッキがボロボロと剥がれてきただけのことなのです。

スピリチュアルなもの全てを否定するつもりはありませんが、現実世界でまっとうに生きることの方が、遥に大事なことだと私は思います。

分派活動を行っている人達も、早くそれに気付いて欲しいと思います。

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その通りだす!

すいふとはんの意見にまったく同意だす。

地が出て来た理由でんが、昔はオーカワより年上の幹部がゴロゴロしとりました。
田舎に引っ込んだといえ、お父はんの善川氏も健在でしたし、なにより鬼のきゃう子はんがいてました。
オーカワも田原総一郎はんや渡部昇一はんと対談したり、
ある程度部外者とも話をする事もありました。

それが最近では幹部も自分より年下が増えたり、
なにより「エルカン・マンセー!」を叫ぶ者ンとしか話せんよおになりました。
ナッツ姫やおまへんが、絶対権力者状態になったせいで地が出て来たんや思いますわ。

変態詩集『愛のあとさき』を出す心理はわてにもわかりまへんが、
オーカワ自身は気に入っとるんや思いますー。
おかしな感性でんが、ニンゲンは他人から批判されてこそマトモになるし、
内容も進歩するんやテ思おとるんですわ。
批判を真正面から受け取らん菅直人やポッポ鳩山なんかもどんどんおかしゅうなってますし・・・。

Re: その通りだす!

十大弟子と言われていた幹部をはじめ、本部長クラスも大川より年上の方がほとんどでした。
目の上のたんこぶを全て排除した結果、彼本来の地が出て来ただけなんですよね。
その結果、皮肉にも教団の発展も止まった訳ですが、これも自業自得でしょう。

インターネットの普及も大きいですね。
90年代は、関谷さんのように本を出版する形でしか告発出来なかったのが、今やリアルタイムで広まってしまいますからね。

哀れな初期肯定原理主義者たち

お久しぶりです。私は大川ではなく、分派活動派について語ろうと思います。
彼らは「初期の感動」が未だに忘れられないのだと思います。大昔の感動を未だに後生大事に握り締めている、哀れな(ある意味、天然の様な純な、成長しないコドモの様な)人たちに見えます。
彼らは大川を責めることはあっても、騙された己自身の愚かさ、馬鹿さ加減について言及することは決してありません。厳しい言い方になりますが、自己の過ちを認めることが出来ない「勇気の無い」人たちだと思います。
自分自身が全く傷つくことなく、酷い現状を「正当化」する為に編み出したトンデモ理屈が、大日意識信仰やら聖ナントヤラ信仰なのでしょう。
個人的には聖ナントヤラなんぞ、大川が自分を特別と権威付けする為に語った出まかせ、法螺としか思えません。惑星意識は人格を持たないはずなのに、それが人格化した意識なんて…設定自体が矛盾しているではないですか。
彼らに付いていってしまう愚かな退会者は、まずいないと思われ、実害はないと思います。目障りではありますが。例の電波女史については、シンパからも嘲笑されているようですが、反論できません(苦笑)彼らが「アンチの面汚し」であることは、認めざるを得ません。

Re: 哀れな初期肯定原理主義者たち

米国さん、どうもです。

仰ること、全てごもっともです。
自らを正当化する為に、聖アントニウスと言う大義名分が必要だったんでしょう。

己が心血を注いだものが、全てニセモノだったと認めたくない気持ちは分かります。でもアンチと呼ばれる人たちは皆そこを乗り越えましたから。

私は自分の意志で入会したので、恨みはありません。全て自分の見識の無さが招いたものだと思っています。彼らにも勇気を出して、一歩踏み出して欲しいと思いますね。
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